静岡県伊東市のよりみち案内

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静岡県伊東市の伊東八景として知られる小室山公園。標高321mの小室山を中心とした自然公園です。麓から山頂までの観光リフトで着いた山頂は美しい草原となっており、パノラマ展望台などから富士山や相模湾に浮かぶ伊豆七島や天城連山など、360度の景観を楽しむ事ができます。また、山頂からリフトの反対側に降りていくと恐竜広場、アスレチック広場があります。

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昭和初期の建築様式をそのまま残す木造3階建の温泉旅館「東海館」。平成9年に廃館後、伊東市に寄贈されたこの旅館は、その貴重な木造建築を後世に伝えるため、平成13年7月26日、市を代表する観光施設として新しく生まれ変わりました。東海館は、昭和3年に庶民の温泉宿として開業し、沢山の方々に親しまれ大いに賑わいました。当時の職人たちが腕を振るった自慢の建物は、桧や杉などの高級な木材や変木とよばれる形の変わった木々をふんだんに用いた美しい和風建築です。廊下や階段、客間の入り口など、館内随所に職人たちの手工を凝らした建築美がいきています。今や貴重となった伝統的な日本の建築様式を心ゆくまでご覧下さい。 ★総タイル張りの大浴場 床から壁まで前面タイル張りの大浴場です。黒錆色の唐獅子は、地元出身の彫師・森田東光作によるものです。 ★一戸建風の客室と廊下の飾り窓 松川沿いの一階~三階の客室には、入口に屋根を葺いた、一戸建風になっていて、板敷きの廊下側には、さまざまな形をした飾り窓があって、ここにも、職人の技と凝りようを見ることができます。 ★三階大広間と付書 かつて120畳敷きだった大広間で、部屋の隅にはたくさんの高足膳が置かれ、毎晩、温泉浴客の宴席が設けられたことを思い浮かばせてくれます。 ★唐破風の玄関 隣の木造温泉とともに、今も昭和初期の温泉情緒漂う、伊東温泉でも数少ない町並みです。その町並みの中に、がっちりとした風格ある唐破風の玄関には旭日と鶴の彫物が飾られています。 ★「牡丹の間」の書院障子の意匠 二階客室「牡丹の間」の書院の欄間や障子には、幾何学模様や綱干し状のデザインが施されている。和風建築の技術が最高レベルに達した時期の、職人の腕を振るった技術の結晶の一端を見ることができる場所です。

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JR伊東駅から徒歩5分。文学者、医学者として知られる木下杢太郎の貴重な資料が展示されています。記念館は、杢太郎の生家で、市内に現存する最古の民家でもあり、当時の伊豆の生活を伝える貴重な民具類も並んでいます。 木下杢太郎(本名:太田正雄)は明治18年8月1日、伊東市湯川に生まれました。 幼い頃から江戸文化や明治の近代文化に親しんだ彼は、13才のときに上京。独協中学、一高、東大医学部へと進みました。在学中も文学に熱中し、「明星」への参加を通して、北原白秋・石川啄木らの詩人と親交を深めています。明治41年には、白秋らと新潮社を脱退し、新たにスバルを創刊。その後も「パンの会」の結成や「屋上庭園」の発行など、明治40年~大正5年の10年間は彼の文芸活動の最盛期でした。 異国情緒と江戸趣味を融合した詩風は、日本近代詩に新風を吹き込んだと言われています。大学卒業後は、家人の反対から芸術の道をあきらめ、医学の道を志し、最後には東大医学部教授となりました。彼の研究の業績は国際的にも高く評価され、フランス政府から名誉勲章を受けています。また、杢太郎は詩作品のほかにも様々な分野で優れた業績を残しています。6カ国語の語学力を生かし、世界各地を旅した文人画家、文明批評家でもありました。 昭和60年10月5日、杢太郎の甥にあたる太田慶太郎氏が以前より公開していた杢太郎の資料を伊東市に寄贈、「伊東市立木下杢太郎記念館」が開館しました。