37b02078 b7f1 47f4 b28f 040d0ebcd423

伊東のよりみち案内【観光・名所】

全国屈指の温泉湧出量【毎分約31,000l ビール瓶大瓶(633ml)約48,000本分】を誇る伊東温泉は、国の天然記念物「大室山」や ダイナミックな海岸線の「城ヶ崎海岸」など風光明美な景勝地も数多くあります。市内には伊東を愛した文人墨客ゆかりの文学碑や様々なジャンルの美術館博物館が点在しています。温暖な気候に恵まれているため、ゴルフ・ダイビングなどスポーツリゾートとしても人気のある観光地です。
D179f7d5 7027 4e33 8f27 6a89cbaab32b
C984e16d 9566 4206 9ac3 d73106380be1
5d010464 04e7 47a9 9438 91c48a88db65
静岡県伊東市の伊東八景として知られる大室山。伊豆高原のどこからみても、お椀をふせたような柔らかな曲線のシルエットが美しい大室山。標高580mの山頂に直径300mのすり鉢状の噴火口を持つ休火山で、全山カヤにおおわれています。2010年8月5日には、単成火山の典型例として、国の天然記念物に指定されました。 また、リフト(有料)で昇る山頂からは相模湾に浮かぶ大島、伊豆七島から天城連山、富士山、箱根へ続く山並へと360度の大パノラマの眺望をお楽しみいただけます。 噴火口を周回する約1㎞のお鉢めぐり(約20分~30分程度)は、眺望をさえぎるものがない実に気持ちの良い散策コースです。噴火口跡のアーチェリー設備は初心者でも楽しむことができます。
伊豆にある 大室山です まさに君の名はに出てきそうな雰囲気です すごく気持ちがいい場所なので是非行って欲しいです!
by おーはるさん
2018年6月4日
01a8b5eb d5c5 4c12 aec4 b1913759ce8b
418cc48b 2431 4fa6 8b7a 3d310cc4bdee
4c2ae377 f6e0 4cf9 bfaa 760252208c0d
静岡県伊東市の伊東八景として知られる小室山公園。標高321mの小室山を中心とした自然公園です。麓から山頂までの観光リフトで着いた山頂は美しい草原となっており、パノラマ展望台などから富士山や相模湾に浮かぶ伊豆七島や天城連山など、360度の景観を楽しむ事ができます。また、山頂からリフトの反対側に降りていくと恐竜広場、アスレチック広場があります。
948efe64 bfe8 4633 a92b 8a99145f374f
0ad20be1 3c60 4f4a 9747 be659c8d14c2
0cfae0fd bde8 4ce4 aaf5 e12338aa0d01
JR伊東駅から徒歩5分。文学者、医学者として知られる木下杢太郎の貴重な資料が展示されています。記念館は、杢太郎の生家で、市内に現存する最古の民家でもあり、当時の伊豆の生活を伝える貴重な民具類も並んでいます。 木下杢太郎(本名:太田正雄)は明治18年8月1日、伊東市湯川に生まれました。 幼い頃から江戸文化や明治の近代文化に親しんだ彼は、13才のときに上京。独協中学、一高、東大医学部へと進みました。在学中も文学に熱中し、「明星」への参加を通して、北原白秋・石川啄木らの詩人と親交を深めています。明治41年には、白秋らと新潮社を脱退し、新たにスバルを創刊。その後も「パンの会」の結成や「屋上庭園」の発行など、明治40年~大正5年の10年間は彼の文芸活動の最盛期でした。 異国情緒と江戸趣味を融合した詩風は、日本近代詩に新風を吹き込んだと言われています。大学卒業後は、家人の反対から芸術の道をあきらめ、医学の道を志し、最後には東大医学部教授となりました。彼の研究の業績は国際的にも高く評価され、フランス政府から名誉勲章を受けています。また、杢太郎は詩作品のほかにも様々な分野で優れた業績を残しています。6カ国語の語学力を生かし、世界各地を旅した文人画家、文明批評家でもありました。 昭和60年10月5日、杢太郎の甥にあたる太田慶太郎氏が以前より公開していた杢太郎の資料を伊東市に寄贈、「伊東市立木下杢太郎記念館」が開館しました。
B83bb199 f502 46ec b19b 42d144bd96de
Bf09ea57 76d6 49f1 8c99 3e41473d0289
655d70f9 a1d9 48a0 aa40 9b849aae14b4
松川沿いに下って海岸で出るところ、なぎさ橋際に日本初洋式帆船を建造した三浦按針(英国名ウィリアム・アダムス)の事績を記念した小さな公園「按針メモリアルパーク」があります。公園の中には昭和24年〈1949年〉7月15日に建立除幕されたE・ブランデン碑と按針の胸像(昭和62年〈1987年〉8月10日除幕)と帆船建造400周年に建てられた標柱(平成16年〈2004年〉12月23日除幕)があります。 英国人ウイリアム・アダムスはケント州ジリンガムに生まれ、12歳でライムハウスの造船所で徒弟として12年間働き、造船、天文学航海術を勉強し、25歳で海軍に入りドレイク艦隊の船長をつとめたのち、故郷でロンドンの女性と結婚して2人の子をもうけました。「北極探検」に2年間参加し再び故郷に帰った1598年6月、オランダの東洋遠征隊(5隻)の航海長を務め地獄のような苦しい航海の末、ただ1隻リーフデ号が1600年4月、九州豊後沖に漂着しました。大阪城で徳川家康に調べられ、彼の人柄がすばらしいことから信用されて江戸日本橋に一軒の家を与えられ江戸城に通い、家康に数学・地理学を、幕府要人に砲術・航海術・天文学などを教え、家康の外交顧問となりました。慶長9年から11年の頃、家康の命令で浦賀水軍の総帥・向井将監と船大工一行とアダムスは、伊東の船大工を使い松川河口(唐人川合流地点)で日本初の洋式帆船80トンを建造し、この船で沿岸測量をしました。 その後再び家康の命令を受け、外洋に出られる大型船120トンを建造し、慶長15年にこの120トンの船をイスパニア(スペイン)の提督ビベロに貸与して、アメリカを経てアカプルコ(メキシコ)に太平洋を横断して安着しました。(伊東市では、洋式帆船建造進水を記念して毎年8月10日に按針祭を開催しています。)
Gurume meisho banner