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弘前藩初代藩主である津軽為信は、主家である南部氏から天正16年(1588年)独立し、津軽地方を平定。その後、津軽為信の子、信枚が弘前城を築城しました。江戸時代には弘前藩津軽氏4万7千石の居城として、津軽地方の政治経済の中心地として重要な役割を担っていました。城の造りは本丸を二の丸以下の曲輪が囲むように縄張りされている輪郭式の城です。本丸のみ石垣造りで、そのほかの曲輪は土塁で造られています。築城当時の天守は五重だったものの、寛永4年(1627年)落雷により焼失。現存の天守は、江戸時代後期に本丸の辰巳櫓を改築して天守の代用としたものです。天守は「現存12天守」のひとつで、層塔型の三重三階で銅瓦葺きです。
現在、天守閣は、弘前城史料館として、藩政時代の史料・資料(歴代藩主が使用した駕籠や小道具、調度品の他、刀や槍、鉄砲や大筒)が展示されています。
また、現存している天守や櫓などは国の重要文化財に指定。また城跡は国の史跡に指定されています。
桜のリフレクション
この美しさは世界に誇れる🌸
by れん
2019年4月27日
弘前城の桜
4月下旬~5月上旬
津軽統一を果たした津軽氏の居城。弘前城天守や櫓、城門が当時の姿を伝える。統一を果たした初代藩主、為信(ためのぶ)が慶長8年(1603年)に計画、2代藩主 信枚(のぶひら)が慶長16(1611)に完成させた城。広さ約49.2ha、東京ドーム10個分以上の敷地は、三重の濠と土塁に囲まれ、6つの郭で構成されている。現在の天守は文化8年(1811)に再建され、弘前城史料館として藩の史料を展示し、当時の風情を偲ばせている。園内のサクラは、正徳5年(1715)、西の郭に25本の桜を植えたのが最初と伝えられる。現在のサクラは、明治維新後、荒れ放題のお城を見た旧藩士が少しずつ植えていき、昔の姿を取り戻そうと大部分は明治以降に植えられたもの。天守閣を中心にソメイヨシノをはじめシダレザクラ、ヤエザクラなど約50種2,600本の桜が咲き誇り、春は大勢の人出で賑わう。

弘前公園の桜
4月下旬~5月上旬
津軽統一を果たした津軽氏の居城。弘前城天守や櫓、城門が当時の姿を伝える。津軽統一を果たした初代藩主、為信(ためのぶ)が慶長8年(1603)に計画、2代藩主 信枚(のぶひら)が慶長16(1611)に完成させた城。広さ約49.2ha、東京ドーム10個分以上の敷地は、三重の濠と土塁に囲まれ、6つの郭で構成されている。現在の天守は文化8年(1811)に再建され、弘前城史料館として藩の史料を展示し、当時の風情を偲ばせている。園内の桜は、正徳5年(1715)、西の郭に25本の桜を植えたのが最初と伝えられる。現在の桜は、明治維新後、荒れ放題のお城を見た旧藩士が少しずつ植えていき、昔の姿を取り戻そうと大部分は明治以降に植えられたもの。天守閣を中心にソメイヨシノをはじめシダレザクラ、ヤエザクラなど約50種2600本の桜が咲き誇り、春は大勢の人出で賑わう。

弘前公園のハス
7月中旬〜8月下旬
津軽統一を果たした津軽氏の居城。弘前城天守や櫓、城門が当時の姿を伝える。津軽統一を果たした初代藩主、為信(ためのぶ)が慶長8年(1603年)に計画、2代藩主 信枚(のぶひら)が慶長16(1611年)に完成させた城。広さ約49.2ha、東京ドーム10個分以上の敷地は、三重の濠と土塁に囲まれ、6つの郭で構成されている。現在の天守は文化8年(1811年)に再建され、弘前城史料館として藩の史料を展示し、当時の風情を偲ばせている。園内の桜は、正徳5年(1715年)、西の郭に25本の桜を植えたのが最初と伝えられる。現在の桜は、明治維新後、荒れ放題のお城を見た旧藩士が少しずつ植えていき、昔の姿を取り戻そうと大部分は明治以降に植えられたもの。天守閣を中心にソメイヨシノをはじめシダレザクラ、ヤエザクラなど約50種2,600本の桜が咲き誇り、春は大勢の人出で賑わう。
また弘前公園は、毎年7月中旬から8月下旬にかけて蓮の名所になる。「蓮池濠」や「石橋」付近で古代蓮、弘前公園西側の工業高校口近くの蓮池では蓮の群生が咲き誇り、暑い夏に涼しさをもたらす。

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