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ゆーたさん
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JR伊東駅から徒歩5分。文学者、医学者として知られる木下杢太郎の貴重な資料が展示されています。記念館は、杢太郎の生家で、市内に現存する最古の民家でもあり、当時の伊豆の生活を伝える貴重な民具類も並んでいます。 木下杢太郎(本名:太田正雄)は明治18年8月1日、伊東市湯川に生まれました。 幼い頃から江戸文化や明治の近代文化に親しんだ彼は、13才のときに上京。独協中学、一高、東大医学部へと進みました。在学中も文学に熱中し、「明星」への参加を通して、北原白秋・石川啄木らの詩人と親交を深めています。明治41年には、白秋らと新潮社を脱退し、新たにスバルを創刊。その後も「パンの会」の結成や「屋上庭園」の発行など、明治40年~大正5年の10年間は彼の文芸活動の最盛期でした。 異国情緒と江戸趣味を融合した詩風は、日本近代詩に新風を吹き込んだと言われています。大学卒業後は、家人の反対から芸術の道をあきらめ、医学の道を志し、最後には東大医学部教授となりました。彼の研究の業績は国際的にも高く評価され、フランス政府から名誉勲章を受けています。また、杢太郎は詩作品のほかにも様々な分野で優れた業績を残しています。6カ国語の語学力を生かし、世界各地を旅した文人画家、文明批評家でもありました。 昭和60年10月5日、杢太郎の甥にあたる太田慶太郎氏が以前より公開していた杢太郎の資料を伊東市に寄贈、「伊東市立木下杢太郎記念館」が開館しました。