静岡県のよりみち案内

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日本一早咲きの梅、そして遅い紅葉で有名な熱海梅園。梅は樹齢100年を超える古木を含め59品種・472本、紅葉樹は約380本もあり、のんびり散歩をしながら自然美を堪能できる場所です。1月中旬~3月上旬の梅まつり、5~6月の新緑、11月中旬~12月上旬のもみじまつりがあり、四季折々で楽しめます。 熱海梅園は、内務省の長与専斎が、「温泉がよく病気に効くのは、ただその中に含まれている塩気や鉄精にばかり頼らず、適当な運動をするからである」(「熱海風土記」―梅園記より)と、提唱したことから造成され、1886年(明治19年)に開園しました。温泉保養地として栄えた熱海文化の、重要な一端を担っています。
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秋彩の滝 熱海梅園には滝があり、秋にはもみじが色付き秘境の様な光景に魅了されます。
5.0
by Takahiro SagawaTop userニッコウキスゲ
2017年12月5日
熱海梅園の梅
1月中旬〜3月上旬
日本一の早咲きで知られ明治19年に開園した熱海梅園は、毎年「梅便り」の先陣としてニュース番組にも登場する。温暖の地にあること、“八重野梅” や“冬至”をはじめ早咲きの品種が多いことなどがその理由。一方で遅咲きの品種もあり、 長期に渡って花見が楽しめる。園内のウメは、樹齢100年を越える梅の古木を含め、60品種457本の梅が咲き誇り 早咲き、中咲き、遅咲きと、順番に開花していくので、 まつり期間中は梅が楽しめる。温泉地だけあって常に賑わうので、ゆっくり観賞するには平日がおすすめ。また、梅まつり期間のみ運営する足湯もあり、7~8人が座れるスペースで屋根がついた施設だが、園内を歩いた後には、休むにはおススメでもある。
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熱海梅園の紅葉
11月下旬~12月上旬
静岡県熱海市にある熱海梅園。早咲きの梅が有名な熱海梅園では、11月下旬から12月にかけて美しい紅葉が楽しめます。例年見頃の時期には「熱海梅園もみじまつり」が開催され、足湯、音楽イベント、フォトコンテストなどが行われます。まつり期間中は紅葉のライトアップが実施され、多くの見物客を魅了します。
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下田公園からほど近い場所にある「ペリーロード」。ペリー提督が300人の部下を引き連れて歩いた道を行くと、見えてくるのが「了仙寺」です。1635年、徳川家光の命を受けた今村正長が建てた了仙寺。日蓮宗の寺院として信仰を集めていました。その後、1854年、日米和親条約の付帯協定である「日米下田条約」の交渉・締結の舞台となります。この時、ペリー提督は、現在のペリーロードを楽器隊の演奏と共に訪れたと記録されているそうです。 日本とアメリカの歴史が動いた場所。了仙寺の境内には、ペリー提督、黒船、開国、下田市にまつわる様々な歴史資料が保管されています。「MoBS 黒船ミュージアム」では、貴重な資料の一部を観ることができるのでおすすめ。映像や写真による解説も分かりやすく、忘れかけていた日本史の知識が蘇るはずです。 ちなみに、下田公園と了仙寺を繋ぐペリーロードは散歩にも最適。平滑川に沿うように整備され、川岸には古民家を利用したカフェやアンティークショップが立ち並んでいます。風情ある街並みのなか、ゆっくりと散策してみてはいかがでしょうか。
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静岡下田の了仙寺。日米和親条約に付属する下田条約が締結された場所です。国の史跡にもなっており、開国に関する資料などはMoBS黒船ミュージアムでみることができます。
3.0
by ちぇりTop user体験
2018年8月27日

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JR伊東駅から徒歩5分。文学者、医学者として知られる木下杢太郎の貴重な資料が展示されています。記念館は、杢太郎の生家で、市内に現存する最古の民家でもあり、当時の伊豆の生活を伝える貴重な民具類も並んでいます。 木下杢太郎(本名:太田正雄)は明治18年8月1日、伊東市湯川に生まれました。 幼い頃から江戸文化や明治の近代文化に親しんだ彼は、13才のときに上京。独協中学、一高、東大医学部へと進みました。在学中も文学に熱中し、「明星」への参加を通して、北原白秋・石川啄木らの詩人と親交を深めています。明治41年には、白秋らと新潮社を脱退し、新たにスバルを創刊。その後も「パンの会」の結成や「屋上庭園」の発行など、明治40年~大正5年の10年間は彼の文芸活動の最盛期でした。 異国情緒と江戸趣味を融合した詩風は、日本近代詩に新風を吹き込んだと言われています。大学卒業後は、家人の反対から芸術の道をあきらめ、医学の道を志し、最後には東大医学部教授となりました。彼の研究の業績は国際的にも高く評価され、フランス政府から名誉勲章を受けています。また、杢太郎は詩作品のほかにも様々な分野で優れた業績を残しています。6カ国語の語学力を生かし、世界各地を旅した文人画家、文明批評家でもありました。 昭和60年10月5日、杢太郎の甥にあたる太田慶太郎氏が以前より公開していた杢太郎の資料を伊東市に寄贈、「伊東市立木下杢太郎記念館」が開館しました。