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全国のツツジ

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万葉集の歌にも登場し、古くから多くの人に親しまれるツツジ。子供の頃には、ツツジを摘んで蜜を吸ったり押し花にして遊んだ方も多いのではないでしょうか。そんな懐かしい時代を思い出させてくれる妖艶な香りを持つのも魅力的です。満開の時期になると何千株ものツツジが庭園を埋め尽くすように咲き乱れ、その様子は圧巻です。ピンクだけでなく赤、紫、白など色とりどりに咲き乱れ、写真映えするスポットがあるのも魅力の一つ。また見頃の時期には、ツツジの名所で名高い伝統芸能の演奏が行われたり、多くの露店が立ち並び、お花見を一層盛り上げてくれます。見頃やアクセスをはじめ、ツツジの種類や色を知って、一味違ったお花見に出かけてみませんか。

テーマ

ツツジ
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六義園

東京都文京区本駒込6丁目16−3 六義園
江戸時代に造られた大名庭園の中でも代表的な庭園とされる六義園。徳川五代将軍 徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主 柳沢吉保が元禄15年(1702年)が築園。和歌の趣味を基調とした「回遊式築山泉水」の庭園となっています。六義園は、明治時代に入り、土佐藩出身の三菱財閥創始者である岩崎彌太郎の別邸となり、その後、昭和13年(1938年)に岩崎家より東京に寄付されました。昭和28年(1953年)には国の特別名勝に指定されています。 園内の中央に大泉水を設け、その中央の中の島には妹山、背山の築山が設けられています。また、大泉水を見下ろす形の標高35mの藤代峠、周囲の新緑や秋の紅葉との一体感が美しい渡月橋など、見所が沢山あるのも六義園の特徴のひとつです。 【庭園内の見所】 つつじ茶屋 明治年間、つつじの古木材を用いて建てられたつつじ茶屋が現存しています。秋には周辺のモミジとの景色が大変美しい場所です。 滝見茶屋 滝や石組みなどで作られた渓流があります。日本の和を感じられる景観や渓流の水の音を楽しめます。 石柱 庭園内の88ヶ所に景勝地(六義園八十八境)が設けられており、各景勝地には石柱が建てられています。残念ながら現存している石柱の数は32ヶ所となっていますが、庭園内で見つけてみましょう。 蓬莱島 大泉水の中に浮かぶ蓬莱島。中国の神仙思想を主題とした石組みの一種で、洞窟石組みの島となっています。 藤代峠 紀州にある同名の峠から名付けられました。園内で一番高い築山で標高は35メートルあります。頂上は富士見山と呼ばれ、園内を一望できるスポットです。 妹の山・背山 中の島にある築山。古くは女性のことを妹(いも)、男性のことを背(せ)と呼びました。六義園の中の島は男女の間柄を表現しています。 出汐湊 大泉水の池畔の名のひとつ。右手に中の島、左手に蓬莱島、対岸に吹上浜が望めます。 内庭大門 六義園の正門を入ってすぐの場所にある内庭大門。周辺に満開の時期は大変綺麗な枝垂れ桜の大木が植えられています。
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浜離宮恩賜庭園

東京都中央区浜離宮庭園1−1 都立浜離宮恩賜庭園
江戸時代には江戸城の出城としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園、浜離宮恩賜庭園。海水を引き入れ、潮の干満によって池の趣を変える様式で、都内にある江戸の庭園では唯一現存する海水の池(潮入の池)があります。 浜離宮恩賜庭園は徳川三代将軍の徳川家光の三男であり、甲斐甲府藩主の松平綱重が海を埋め立て甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てたことがはじまりです。その後、綱重の子、松平綱豊(後の徳川六代将軍 徳川 家宣)が将軍になったのを機に、甲府浜屋敷は徳川将軍家の別邸となり「浜御殿」と呼ばれるようになりました。明治維新によって徳川政権が崩壊すると、皇室の離宮となり「浜離宮」と名称を変更し、現在に至ります。昭和27年(1952年)には旧浜離宮庭園として国の特別名称、特別史跡に指定されてています。 【庭園内の見所】 中島の御茶屋 宝永4年(1707年)に造られて以来、徳川将軍、奥方、公家たちが利用した休憩所。昭和58年(1983年)に再建。現在でも中島の御茶屋では、抹茶、和菓子セットなどを供していて、浜離宮恩賜庭園を訪れた人の休憩所となっています。 松の御茶屋・燕の御茶屋 徳川11代将軍 徳川家斉の時代に造られましたが、戦災で焼失。その後平成22年(2010年)に松の御茶屋が、平成27年(2015年)に燕の御茶屋が復元されました。 お伝い橋 汐入の池の岸から小の字島と中島を結ぶ延長118メートルの総ヒノキ造りの橋。平成24年(2012年)に改修されました。 新樋の口山 浜離宮恩賜庭園の大手門入口を入り左手の東京湾に面した水門近くの山。レンボーブリッジやお台場などを一望できるスポットです。 水上バス発着場 浅草、両国、お台場海浜公園、葛西臨海公園などへの水上バス発着場。浅草方面に上って行くと、隅田川に架かる沢山の橋を水上から見上げることができます。
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旧芝離宮恩賜庭園

東京都港区海岸1丁目4−1 都立旧芝離宮恩賜庭園
東京に残る江戸初期の大名庭園の一つ旧芝離宮恩賜庭園。池泉を中心に庭園の区画や石がバランスよく配置された回遊式泉水の庭園です。 江戸時代の大名・老中「大久保忠朝」(肥前唐津藩第2代藩主)の上屋敷の庭園「楽寿園」が旧芝離宮恩賜庭園の始まりとされています。この地はかつて海面であったそうですが、明暦(1655年〜1658年)の頃に埋め立てられ、延宝6年(1678年)に大久保忠朝が邸地を建てたとされています。 幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となり、明治4年(1871年)に有栖川宮家の所有になりました。その後、明治8年(1875年)に宮内省がこれを買い上げ、大正13年(1924年)に昭和天皇のご成婚記念として東京に下賜されました。また、昭和54年(1979年)には文化財指定名勝として国の名勝に指定されています。 【庭園内の見所】 西湖の堤 中国の杭州にある西湖の堤を模した石造りの堤。堤の先にある中島の石組みは大久保忠朝の上屋敷があるころからのものだそうです。小石川後楽園の西湖の堤も中国の杭州の西湖を模したものですので両庭園でそれぞれ見比べるのも楽しみのひとつです。 中島 旧芝離宮恩賜庭園の要となる箇所。池の中央にある中島です。中国で仙人が住み不老不死の池と言われる霊山を模した蓬莱石組となっています。 枯滝 豪快かつ繊細な石組みで造られている枯滝。滝の河床が園路になっており、景観の変化を楽しめます。 大山 庭園内の最も高い築山。頂上から観賞する大泉水は大変綺麗な光景です。 大泉水 庭園の要となる約9,000㎡の池。以前は海水を引き入れた潮入の池でしたが、現在は淡水の池となっています。
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旧古河庭園

東京都北区西ケ原1丁目27−39 都立旧古河庭園
旧古河庭園は、大正初期の庭園の原型をとどめる貴重な存在で、和洋の見事な調和を実現した代表的な事例です。現存する近代の庭園の中でも良好に保存されているため、芸術・観賞上価値の高い庭園として、平成18年(2006年)1月26日に文化財保護法によって国の名勝に指定されました。 元は明治の政治家、陸奥宗光の邸地。次男が古河家の養子になった時より古河家の所有となりました。 英国ルネサンス風の洋館と洋風庭園は、鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸庭園洋館などの設計を手がけたイギリス人ジョサイア・コンドル(1852年〜1920年)最晩年の設計で大正6年5月に竣工しました。 日本庭園の作庭者は、京都の庭師・植治こと小川治兵衛(1860年〜1933年)で、洋風庭園にも勝るとも劣らない名園です。 【庭園内の見所】 石造りの洋館(大谷美術館) 英国貴族の邸宅にならった古典様式で、天然スレートぶきレンガ造り。外壁は真鶴産の赤味をおびた新小松石(安山岩)で仕上げられています。洋館1階部分はホール、ビリヤード場、書斎、応接室、ブレックファストルーム、会食場など、2階部分はホール、仏間、ゲストルーム、和室、子供部屋、洋室、トイレ、お風呂などの間取りとなっています。 洋風庭園 テラス式の庭園に植えられたバラは春と秋に見事な大輪の花を咲かせ、洋館の風情と相まって異国情緒を満喫させてくれます。 日本庭園 日本庭園の中心は心宇池。優雅な曲線が心を癒してくれます。大滝、枯れ滝などが周囲の緑に映えて、日本庭園の風情を演出しています。 枯滝 水を使用しないで山水の景観を表現する「枯山水」の道具立てのひとつが枯滝。心字池の州浜の奥の渓谷の水源を模した景観として枯滝石組があります。 心字池 「心」の草書体を形取り、鞍馬平石や伊予青石などで造られた池。池を眺める要となる「船着石」があり、正面には「荒磯」、雪見灯篭、枯滝、石組みなどが設けられています。 大滝 十数メートルの高所から落ちる滝。園内のもっとも勾配の急な所を削って断崖とし、濃い樹林でおおって深山幽谷の趣があります。
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塩船観音寺のつつじ

〒198-0011 東京都青梅市塩船194
4月中旬〜5月中旬
1300年あまりの古い歴史を誇る塩船観音寺は、茅葺き切妻造りの仁王門阿弥陀堂、観音堂などはいずれも室町時代の建造物で、国の重要文化財にも指定されている。また「花の寺」としても有名で、とくに本堂裏手の小高い丘一面に咲き乱れるつつじが素晴らしい。見られるのはミツバつつじ、オオムラサキ、クルメつつじ、キリシマつつじ、ヤマつつじなど園芸品種も含めて約10種類、約1万7千株が早咲き、中咲き、遅咲きと順に開く。朱色、紅色、薄ピンクに紫、白色など、グラデーションがかった色とりどりのつつじ山は「美しい」というより「艶やか」が相応しく、じつに壮観な眺めである。このつつじは寺役員会が、1960年代半ば、寺おこしとして「参詣と文化財、さらに観光の要素を」と花を植えることを考え、苗木を植えたのが始まり。 「塩船」の名は、天平年間(729年〜749年)に高僧の行基が諸国を巡る途中に立ち寄り、「周囲が小高い丘に囲まれて船の形に似ている」ところから、「仏があらゆる生き物を救おうとする大きな願いの船である”弘誓の船”」になぞらえて、この地を「塩船」と名付けたいう。つつじの他にも引き続きあじさい、ショウブが楽しめ、秋にはコスモスも咲く。

清澄庭園

東京都江東区清澄3丁目3−9
大泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」の清澄庭園。江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。享保年間(1716年~1736年)に下総国関宿の藩主・久世大和守の下屋敷となり、庭園の原型が造られました。その後、明治11年(1878年)、土佐藩出身の三菱財閥創始者である岩崎彌太郎が、この邸地を含む約3万坪の敷地を取得し、明治13年に「深川親睦園」として開園。社員の慰安や貴賓を招待する場所として利用されました。「深川親睦園」として開園後も造園の工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水をはじめ筑山や、全国から取り寄せた名石を庭園内に配置して、「回遊式林泉庭園」の清澄庭園が完成しました。 岩崎家は関東大震災の翌年の大正13年(1924年)に清澄庭園の東側半分を公園用地として東京に寄付し、現在に至ります。 また、清澄庭園は昭和54年(1979年)3月31日に東京都の名勝に指定されています。 【庭園内の見所】 大泉水 清澄庭園の中央に備わる大泉水。中の島、鶴島、松島の三つの中島を配した広い池です。水面に島や数寄屋造りの涼亭が備わっています。以前は隅田川から水を引いていたため、潮の干満によって池の水量が変わっていたようです。現在の大泉水は雨水を貯めて造られています。 名石 伊豆磯石、伊予青石、紀州青石、生駒石、伊豆式根島石、佐渡赤玉石、備中御影石、讃岐御影石などの庭石が清澄庭園内に据えられています。このほか、敷石や橋、磯渡り、枯滝の石を含め、園内には無数の石が配置され、さながら「石庭」の観を呈しています。 富士山 清澄庭園で最も高い築山。(登ることは禁止)ツツジとサツキが植えられているので毎年5月頃には大変綺麗な色に染まります。 涼亭 池に突き出るようにして建てられた数寄屋造りの建物。明治42年(1909年)に国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたものです。現在では集会所としての利用が可能になっています。 大正記念館 大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移築したものです。大正記念館も集会所としての利用が可能になっています。