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全国の新東京百景

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新東京百景
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六義園

東京都文京区本駒込6丁目16−3 六義園
江戸時代に造られた大名庭園の中でも代表的な庭園とされる六義園。徳川五代将軍 徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主 柳沢吉保が元禄15年(1702年)が築園。和歌の趣味を基調とした「回遊式築山泉水」の庭園となっています。六義園は、明治時代に入り、土佐藩出身の三菱財閥創始者である岩崎彌太郎の別邸となり、その後、昭和13年(1938年)に岩崎家より東京に寄付されました。昭和28年(1953年)には国の特別名勝に指定されています。 園内の中央に大泉水を設け、その中央の中の島には妹山、背山の築山が設けられています。また、大泉水を見下ろす形の標高35mの藤代峠、周囲の新緑や秋の紅葉との一体感が美しい渡月橋など、見所が沢山あるのも六義園の特徴のひとつです。 【庭園内の見所】 つつじ茶屋 明治年間、つつじの古木材を用いて建てられたつつじ茶屋が現存しています。秋には周辺のモミジとの景色が大変美しい場所です。 滝見茶屋 滝や石組みなどで作られた渓流があります。日本の和を感じられる景観や渓流の水の音を楽しめます。 石柱 庭園内の88ヶ所に景勝地(六義園八十八境)が設けられており、各景勝地には石柱が建てられています。残念ながら現存している石柱の数は32ヶ所となっていますが、庭園内で見つけてみましょう。 蓬莱島 大泉水の中に浮かぶ蓬莱島。中国の神仙思想を主題とした石組みの一種で、洞窟石組みの島となっています。 藤代峠 紀州にある同名の峠から名付けられました。園内で一番高い築山で標高は35メートルあります。頂上は富士見山と呼ばれ、園内を一望できるスポットです。 妹の山・背山 中の島にある築山。古くは女性のことを妹(いも)、男性のことを背(せ)と呼びました。六義園の中の島は男女の間柄を表現しています。 出汐湊 大泉水の池畔の名のひとつ。右手に中の島、左手に蓬莱島、対岸に吹上浜が望めます。 内庭大門 六義園の正門を入ってすぐの場所にある内庭大門。周辺に満開の時期は大変綺麗な枝垂れ桜の大木が植えられています。
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浜離宮恩賜庭園

東京都中央区浜離宮庭園1−1 都立浜離宮恩賜庭園
江戸時代には江戸城の出城としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園、浜離宮恩賜庭園。海水を引き入れ、潮の干満によって池の趣を変える様式で、都内にある江戸の庭園では唯一現存する海水の池(潮入の池)があります。 浜離宮恩賜庭園は徳川三代将軍の徳川家光の三男であり、甲斐甲府藩主の松平綱重が海を埋め立て甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てたことがはじまりです。その後、綱重の子、松平綱豊(後の徳川六代将軍 徳川 家宣)が将軍になったのを機に、甲府浜屋敷は徳川将軍家の別邸となり「浜御殿」と呼ばれるようになりました。明治維新によって徳川政権が崩壊すると、皇室の離宮となり「浜離宮」と名称を変更し、現在に至ります。昭和27年(1952年)には旧浜離宮庭園として国の特別名称、特別史跡に指定されてています。 【庭園内の見所】 中島の御茶屋 宝永4年(1707年)に造られて以来、徳川将軍、奥方、公家たちが利用した休憩所。昭和58年(1983年)に再建。現在でも中島の御茶屋では、抹茶、和菓子セットなどを供していて、浜離宮恩賜庭園を訪れた人の休憩所となっています。 松の御茶屋・燕の御茶屋 徳川11代将軍 徳川家斉の時代に造られましたが、戦災で焼失。その後平成22年(2010年)に松の御茶屋が、平成27年(2015年)に燕の御茶屋が復元されました。 お伝い橋 汐入の池の岸から小の字島と中島を結ぶ延長118メートルの総ヒノキ造りの橋。平成24年(2012年)に改修されました。 新樋の口山 浜離宮恩賜庭園の大手門入口を入り左手の東京湾に面した水門近くの山。レンボーブリッジやお台場などを一望できるスポットです。 水上バス発着場 浅草、両国、お台場海浜公園、葛西臨海公園などへの水上バス発着場。浅草方面に上って行くと、隅田川に架かる沢山の橋を水上から見上げることができます。
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旧古河庭園

東京都北区西ケ原1丁目27−39 都立旧古河庭園
旧古河庭園は、大正初期の庭園の原型をとどめる貴重な存在で、和洋の見事な調和を実現した代表的な事例です。現存する近代の庭園の中でも良好に保存されているため、芸術・観賞上価値の高い庭園として、平成18年(2006年)1月26日に文化財保護法によって国の名勝に指定されました。 元は明治の政治家、陸奥宗光の邸地。次男が古河家の養子になった時より古河家の所有となりました。 英国ルネサンス風の洋館と洋風庭園は、鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸庭園洋館などの設計を手がけたイギリス人ジョサイア・コンドル(1852年〜1920年)最晩年の設計で大正6年5月に竣工しました。 日本庭園の作庭者は、京都の庭師・植治こと小川治兵衛(1860年〜1933年)で、洋風庭園にも勝るとも劣らない名園です。 【庭園内の見所】 石造りの洋館(大谷美術館) 英国貴族の邸宅にならった古典様式で、天然スレートぶきレンガ造り。外壁は真鶴産の赤味をおびた新小松石(安山岩)で仕上げられています。洋館1階部分はホール、ビリヤード場、書斎、応接室、ブレックファストルーム、会食場など、2階部分はホール、仏間、ゲストルーム、和室、子供部屋、洋室、トイレ、お風呂などの間取りとなっています。 洋風庭園 テラス式の庭園に植えられたバラは春と秋に見事な大輪の花を咲かせ、洋館の風情と相まって異国情緒を満喫させてくれます。 日本庭園 日本庭園の中心は心宇池。優雅な曲線が心を癒してくれます。大滝、枯れ滝などが周囲の緑に映えて、日本庭園の風情を演出しています。 枯滝 水を使用しないで山水の景観を表現する「枯山水」の道具立てのひとつが枯滝。心字池の州浜の奥の渓谷の水源を模した景観として枯滝石組があります。 心字池 「心」の草書体を形取り、鞍馬平石や伊予青石などで造られた池。池を眺める要となる「船着石」があり、正面には「荒磯」、雪見灯篭、枯滝、石組みなどが設けられています。 大滝 十数メートルの高所から落ちる滝。園内のもっとも勾配の急な所を削って断崖とし、濃い樹林でおおって深山幽谷の趣があります。
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小石川後楽園

東京都文京区後楽1丁目6−6 都立小石川後楽園
東京都文京区にある小石川後楽園。 1629年、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が築いた庭園を、家督を受け継いだ光圀が改修したと言われています。 庭園の様式は池を中心にした回遊式築山泉水庭園になっています。光圀は造成に当たり明の儒学者「朱舜水」の意見を用い、円月橋、西湖堤など中国の風物を取り入れ、園名も朱舜水の命名によるなど中国的な要素が沢山取り込まれていた庭園です。 後楽園という名は、中国の范仲淹「岳陽楼記」の「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名づけられました。 庭園内は、春は桜に花菖蒲、夏は蓮、秋は紅葉、冬は寒椿と季節によって光景が異なるため何度訪れても楽しめます。都会の喧騒を離れて自然を感じたい時に簡単に訪れられるスポットです。 また、小石川後楽園は国の特別史跡・特別名勝に指定指定されています。 【庭園内の見所】 得仁堂 徳川光圀が18歳の時に、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受けたことから伯夷・叔斉(伯夷の弟)の木造を安置した堂です。園内最古の建物となっています。 通天橋 京都・東山東福寺の「通天橋」にならった朱塗りの虹橋。周辺には楓が植えられていて11月末頃の紅葉の時期には小石川後楽園の中でも大変綺麗なスポットです。 西湖の堤 中国の杭州の西湖に見立てた西湖の堤。旧芝離宮恩賜庭園の西湖の堤も中国の杭州の西湖を模したものですので両庭園でそれぞれ見比べるのも楽しみのひとつです。 円月橋 水面に映る形が満月のようにみえることから「円月橋」と名付けられました。明の儒学者「朱舜水」による設計と言われています。 大泉水 庭園の中心となる大泉水。池の真ん中には蓬莱島を配し、琵琶湖を見立てて造られています。 梅林 徳川光圀は自らの号を「梅林」とするほど梅を好んでいたそうです。 小石川後楽園内の梅は紅梅、白梅など約30種類の梅の花が、2月から3月にかけて色づきます。 枝垂桜 小石川後楽園内には樹齢約60年の枝垂桜が植えられています。以前は樹齢100年を超える桜がありましたが、枯れてしまったため新たに植えられたものです。また、園内には7本の枝垂桜と多くのソメイヨシノの木が植えられています。水面に映る桜を観れるスポットもあり大変綺麗です。